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Gheise

芸妓(げいぎ)とは、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。

江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂など上方で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになって行った。京都では以前同様に芸子とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする正統派の芸者は売春を行うことはない。地方の温泉地等には一般にコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている。

呼名・異称・用字にはさまざまなものがある。下記「名称」の項目を参照のこと。
目次
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* 1 名称
* 2 装束
* 3 制度
* 4 利用法
* 5 役割:立方と地方
* 6 娼妓との区別
* 7 旦那様
* 8 現状
o 8.1 新潟市
o 8.2 松山市
o 8.3 神戸市 有馬温泉
* 9 関連項目
* 10 文献
* 11 外部リンク

名称 [編集]

芸妓は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった(本稿ではこの呼名を用いる)。

芸妓は多くの場合、一人前の芸妓と見習とに区別されており、それぞれの名称が地域によって異なる。

* 京都・大阪などの近畿地方

芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。山形、石川などでもこの呼名が行われる。

* 東京を中心とする関東地方

芸妓を「芸者」、見習を「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。

装束 [編集]

一人前の年長芸妓の場合は主として島田髷に引摺り、詰袖の着物、水白粉による化粧(近畿系芸妓は正式にはお歯黒を付けるが現代では通常は付けない/関東系はお歯黒を付けない(関東系遊女は付ける);どちらも引眉はしない)というのが一般的である(地方などは土地柄によって束髪に普通の化粧という場合もある)。三味線箱を男衆に持たせたりして酒席に赴く。

半玉や舞妓ら年少の芸妓の衣装は、髪形は桃割れ等の少女の髷で、肩上げをした振袖を着る。帯・帯結びも年長芸妓とは異なる。この内、京都の舞妓は、だらりの帯結び、履物はおこぼ(こっぽり)などで知られる。

東京深川の辰巳芸者は「いき」をむねとし、足袋をはかず素足で桐の下駄を履き、羽織をはおることをもってその心意気とする。したがって、辰巳芸者を「“羽織芸者”」、略して「“羽織”」とも呼んだ。

芸妓は、花魁や花嫁のように右手ではなく、左手で着物の褄(つま)を取るので、「左褄(ひだりづま)」と呼ばれることもある。
制度 [編集]

芸妓は通常、置屋に籍を置く。置屋はあくまで芸妓の抱元(タレントでいう所属事務所) であり、客を遊ばせる場所ではない。

江戸時代には、待合茶屋にあがった客が、茶屋を通して芸妓に指名を掛け(これを「何某を呼ぶ」または「何某を知らせる」という)、揚屋で実際に遊ぶことが一般であった。ただし上方(かみがた)では茶屋と揚屋がひとつになっていて置屋が直接に指名を受ける場合が多く、江戸でも料亭や船宿が直接置屋に指名をかけ、場所を移動せずに遊ぶこともあった。当時、芸妓は遊郭で遊女が来るまでの場つなぎとして呼ばれることが多く、この点が明治以降とはかなり違う。

現在では揚屋はほぼどの土地にも存在しない。その代わりに検番をおいて置屋のとりまとめを行い、芸妓や幇間の大半はこれに所属している。茶屋(または揚屋)にあがった客は、店を介して検番に声をかけ、芸妓を知らせるのである。また、検番では、芸妓の教育をもまとめて行っている場合が多い。
利用法 [編集]
大正期の芸者遊び

通常、客は宴席を設ける料理屋にその旨を伝え、予算や希望に応じて料理屋が芸妓の手配をしてくれる。無論、指名も可能である。また、馴染みになれば直接お茶屋・置屋に芸妓を手配し、酒席に呼ぶことができる。通常、芸妓の手配や出入りができる料理屋は決まっており、どこでも呼べるわけではないので注意が必要である(料亭の項を参照)。

しかし最近では様々な緩和により加盟店以外の出入りも見受けられる(その場合、割り増しや各種の条件がつく場合もある)。

当日その場でも空きがあれば手配も可能だが通常はあまりそのようなことはしない。


その料金のことを、関東では「玉代(ぎょくだい)」または「線香代」、近畿では「花代(はなだい)」などと呼ぶ。「線香代」というのは、時計のないころに線香1本が燃え尽きるまでの時間の料金だったからという。 このほかに祝儀(ご祝儀)と呼ばれる一種のチップのようなものも必要となる。

芸妓の料金の支払い方法は、使用した料理屋等からの請求で飲食の代金とあわせて来るのでその際に一括して支払う。
役割:立方と地方 [編集]

芸妓には大まかに立方と地方との2種がある(京都でいう舞妓・芸子の別は、職掌としては、ほぼこの立方・地方の別に等しい)。

立方(たちかた)
舞踊を主にする者
地方(じかた)
長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏をうけもつ者

地方となるにはそれなりの修練が必要であり、通常は立方を卒業した姉芸妓が地方に廻る。そのほか、芸妓には素養としてひととおりの音曲、茶道などの修行が求められることが多い。このような事情から、昭和年間前半(1930~50年代)には、芸妓出身の女性歌手が輩出した。小唄勝太郎、市丸などが有名で、「うぐいす芸者」と称されていた。
娼妓との区別 [編集]

芸妓はあくまでも芸を売って座の取持ちを行うのがその勤めである。しかし、江戸時代以来、芸妓もその他の遊女と同様、前借金を抱えた年季奉公であり、過去の花街は人身売買や売春の温床となっていた。誰でも構わず身を売ることは「不見転(みずてん)」として戒められたが、第二次世界大戦後までこうした不見転はほぼどこの土地でも見られ、置屋も積極的にこれを勧めることが多かった。

しかし、あくまで芸妓は遊女とは区別され、一流の芸妓は「芸は売っても体は売らぬ」心意気を持ち、決まった旦那に尽くし、その見返りに金銭が報われるというのがその建前になっていた。むろん、こうした実態を嫌い、芸妓は客の自由にならぬものという気概を貫きとおし、一生涯旦那を持たない名妓も多くいた。なんの自由も無いと考えられがちである芸妓だが、恋愛の自由は昔からかなり認められていたようだ。

自らの芸によって生活する芸妓は、明治以降一種のあこがれの存在としてとらえられることも多く、雑誌で人気投票が行われたり、絵葉書が好評を博したこともあった。
旦那様 [編集]

芸妓の世界にはかつてこの旦那様が不可欠だった。芸妓が存在する土地には旦那様の存在があり、いわゆるパトロンやスポンサーといったような人物である。しかし、適度に援助したり協力する程度のものではなく、芸妓一人を見出し決めるとほとんど生涯にわたり世話をしてくれる。芸妓が若手見習いから一人前になるまでには多額の費用がかかる。この旦那様は着物から持ち物、装飾品や生活費まで数百万円~数千万円負担する。なかには数億円出すことも珍しくはない。

この莫大な費用からしてみてもだれでも旦那様になれるわけではなく、必然的にその土地の財界人やトップクラスの企業の経営者などで、多額の金銭をポケットマネーでまかなえる人物であった。一方の芸妓も芸妓になれば誰でも旦那様がつくわけではなく、美貌と卓越した芸などが備わった芸妓である。若手の時に旦那様がつけばいわゆる水揚げとなり、ある程度歳を重ねていても旦那様はつく。

芸妓はその旦那につくことになり、旦那様はその芸妓の一番のひいきになり面倒を見て信頼関係が構築される。芸妓には目に見えてのメリットがある。しかし旦那様は通常家庭を持っていたりするため、ある程度割り切った生活でこれといってメリットはない。無論、所詮男女なのでそのようなこともあるが、建前は健全な協力である。旦那様のメリットは「男の甲斐性」である。「あの芸妓にこれだけのことをしてやった」「こんなに金を出した」という粋なはからい。また各土地の屈指の金持ちであるから、まわりへの財力のアピールにもなる。通常は家庭と芸妓の両立が原則だが、中には芸妓にのめりこみすぎたり、悪い芸妓に利用されたりと破産する者もいる。

後述にも触れられているように、現在ではこの旦那様は皆無に近い状態である。それは時代にそぐわない制度と内容であるからである。不況や、そのような粋なことをする男性が少なくなったり、また娯楽の多様化や家庭重視、金銭的な問題等から芸妓にそれだけのことをする意味がないなど、複数の要因がある。

しかし、現在でも京都などの大都市には、わずかながら旦那様が存在する。一方の芸妓にも意識の変化があり、仮に申し込んだ場合に断り通常の生活や結婚を望むという芸妓もおり、やはり時代の変化と言える。このような旦那様側、芸妓側、また時代の変化により芸妓文化のある地方ではこの「旦那様」は見られなくなった。
現状 [編集]

かつて日本全国に多くの花街(花柳界)があり、芸妓も多数いた。第二次世界大戦以後は、児童福祉法の制定によって子どもの頃から仕込むことが困難になり、娯楽と接客の多様化により花柳界も衰退し、芸妓の数は減り続けた。後継者不足のため、花街側は頭を抱えている状況だが、山形や秋田では会社制度に転換したりして後継者を育成し続けている。 旦那制度はほぼ無しに近い状態で、芸妓一人一人自前で着物などを用意する。


新潟市 [編集]

新潟市には古町芸妓[1]が存在する。最盛期には400人いた芸妓も今は20数名程。実働は10数名となる。後継者がいないため年々人数が減少し、現在でも衰退の一途をたどっている。それにより、1987年(昭和62年)、芸妓出入りの料理屋や財界人の出資により「柳都振興株式会社」が設立された。古町芸妓は大きく2種類に分かれており、50~60歳代の昔ながらの置屋所属の、正統派のベテラン芸妓でいわゆる「姐さん」と、この柳都振興株式会社の社員、通称「柳都さん」に分かれ、まったく別である。この会社はあくまでも若手のみ(18歳~40歳代)で、現在の在籍人数は7人。

給与は会社組織であるため、所属する芸妓も一般の会社員と同様に固定給であり仕事内容は非常に激務だが一般的な会社員給与程度で、歩合制もない。

先にも述べた通り現在置屋に所属する若手はいない。がしかし、この会社自体に芸妓の育成や養成能力はほとんどなく運営や管理であり、実際の稽古や育成は姐さん方や地元流派の家元が行っている。別個体の会社組織だが組合に入っているため、新潟の花柳界で活動し料理屋等にも通用でき、座敷への呼び方や花代は姐さんたちと同様である。

だが、上記の通り古町芸妓の衰退の勢いは止まっていない。その原因として姐さん方の弟子取り(跡継ぎ)を全面的に中止していること(今の代で廃業)や会社員制になったことによる士気の低下、さらには若手のプロ意識の低下、いわゆる「旦那様」の激減などがあげられ、この旦那様の皆無状態により若手芸妓の跡継ぎを姐さん方が断念している。また地方(じかた)問題では、姐さん方は次第に引退するが、地方の育成にはある程度お座敷に出られるようになるまで最低でも10年~20年程度必要である。しかし、若手の育成のスピードが間に合わず、または若手が次々に辞めてしまうために、近い将来地方は姿を消し、録音したものを流しながら踊りを踊るという最悪の状態がすぐそこまできており、なんらかの対策が求められるが打開策は見つかっていない。

もうひとつの原因として会社組織になったことと、伝統文化や厳しい世界と「いまどきの若い子」の感覚による温度差もある。これは京都の舞妓の項にも記述がある通り、単なる憧れや一職業としてホステスやコンパニオン感覚で入門した場合、その世界の厳しさや労働と賃金との対価が納得できずに辞めてしまう者も事実、多数存在する。特にこの柳都の若手は上記の通り労働と賃金の格差が激しく、月にどれだけ出ようが賃金は一律である。

京都の舞妓のようにプライベートまでしっかりとしたきめごとはなく、仕事後はかつらを取り、茶髪などの今風の姿になり、服装や行動も自由なため、礼儀作法の徹底不足や意識の低さは会社組織の短所といえる。舞妓のようにジーンズの着用禁止や髪結いの徹底、出入り店舗(コンビニやバーなど若者が好みそうな店への出入り禁止)の制限などを設け、若手の伝統や礼儀に対する意識改革をすべきと各方面から声が上がっている。

さらには時代の流れで娯楽の多様化、各種接待の激減(料亭の項参照)による利用客の需要の少なさなど、料理屋や新潟の花柳界自体の衰退があげられる。なおかつ、地元新潟市民の知名度の低さもあり、いまだにその存在や活動を知らない者や縁遠い物として関心がない場合が圧倒的多数を占めている。新潟市では芸妓と料理がセットになったプランを提供する料理屋もあるが、これもマンネリ化により定員数の集客が出来なかったり、料理屋側が花代を一部負担するなどという事態にまで発展している。これらの現状により、料理屋と芸妓と双方に次なる根本的な改革を迫られている。
松山市 [編集]

松山市には大正~昭和初期の全盛期には、県内で検番が約40軒、置屋が439軒、芸妓が1350人いた。現在も芸妓の数は少なくなったが、松山検番や新検番が存在する。
神戸市 有馬温泉 [編集]

日本最古である有馬温泉には古くから芸達者な芸妓がいてその伎芸は現在も若い芸妓に伝承されている。有馬検番があり、現在置屋が4軒、梓席・田中席[2]・わかまつ席・初音席。常に白塗りでかつら、着物で座敷にあがる(有馬温泉観光協会[3]参照)。

温泉街だが近畿の奥座敷と呼ばれ格式が高く、遊郭のような店もなく、またその様な人(ピンクコンパニオンなど)が旅館やホテルに出入りするのも禁じられている。
関連項目 [編集]

* 花街
* 舞妓
* 幇間
* 水揚げ
* 花代
* 祝儀
* 遊女
* 売春
* 辰巳芸者
* 中村喜春
* 料亭
* 待合茶屋
* 萬龍
* モルガンお雪
* 川上貞奴
* 東山女子技芸学校
* お座敷遊び

文献 [編集]

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* 相原恭子『京都花街もてなしの技術』小学館、2005年5月、ISBN 4093875537
* 相原恭子『京都舞妓と芸妓の奥座敷』(文春新書)、文藝春秋、2001年10月、ISBN 4166602055
* 相原恭子『舞妓さんのお道具帖 おしゃれのアイデアと、すぐに使える小物がいっぱい』山海堂、2007年11月、ISBN 9784381023315
* 相原恭子『未知の京都 舞妓と芸妓』弘文堂、2007年7月、ISBN 9784335551130
* 青山益朗『ぎをん桔梗家ものがたり』コエランス、2004年11月、ISBN 490773106X
* 浅野喜市『祇園 昭和13年~35年 浅野喜市写真集』京都書院、1990年6月、ISBN 476363142X
* 浅原須美『お座敷遊び 浅草花街芸者の粋をどう愉しむか』(光文社新書)、光文社、2003年4月、ISBN 4334031935
* 浅原須美『東京六花街 芸者さんに教わる和のこころ 新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島+八王子』(地球の歩き方BOOKS 地球の歩き方 GEM STONE 013)、ダイヤモンド・ビッグ社、2007年7月、ISBN 4478077894
* 浅原須美(文)、中川カンゴロー(写真)『夫婦で行く花街花柳界入門』小学館、1998年3月、ISBN 4093431345
* 井沢寿治『ぼんぼんの原風景』かもがわ出版、2000年6月、ISBN 4876995206
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* 岩崎峰子『祇園の課外授業』集英社、2004年9月、ISBN 4087813126
* 岩崎峰子『祇園の教訓 昇る人、昇りきらずに終わる人』幻冬舎、2003年7月、ISBN 4344003586
* 岩下尚史『芸者論―神々に扮することを忘れた日本人』雄山閣、2006年10月、ISBN 4639019521
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* 上村敏彦『花街・色街・艶な街 色街編』街と暮らし社、2008年1月、ISBN 4901317172
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* 及川和哉『ひだりづま 盛岡芸者いまむかし』八重岳書房、1991年5月、ISBN 4896461398
* 太田達ほか『京の花街―ひと・わざ・まち 』日本評論社、2009年4月、ISBN 453558561X
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* 小原源一郎(文)、板倉有士郎(写真)『京・祇園 幽玄なる伝統美の世界』日本地域社会研究所、1994年4月、ISBN 4890227385
* 柏木健一『祇園は恋し』文芸社、2004年11月、ISBN 4835580702
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* 加藤政洋『京の花街ものがたり』(角川選書)、角川学芸出版、2009年8月、ISBN 4047034487
* 上七軒市まめ『舞妓のお作法』大和書房、2007年11月、ISBN 9784479781721
* 川村徳太郎(述)、田中巌(編)『新橋を語る』新橋芸妓屋組合、1931年9月、[7]
* 菊池武徳『名士と名妓 明治史の裏面』ダイヤモンド社、1937年5月、[8]
* 岸井良衛『女藝者の時代』青蛙房、1974年1月、[9]、再版: 1985年10月、[10]
* 片岡仁左衛門(文)、清岡虹子(写真)『祇園の舞妓』フジアート出版、1985年2月、ISBN 4828902961
* 桐木千寿『愛され上手になる 祇園流・女磨き』講談社、2007年3月、ISBN 9784062138413
* 熊谷康次郎(文)、濱岡昇(写真)『祇園と舞妓』淡交社、1974年
* 佐野美津子『祇園女の王国 紅殻格子のうちとそと』新潮社、1995年2月、ISBN 4104034010
* 杉田博明(文)、溝縁ひろし(写真)『京の花街祇園』淡交社、2003年5月、ISBN 4473019802
* 角田嘉久『或る馬賊芸者・伝 「小野ツル女」聞き書より』創思社出版、1980年2月、[11]
* ライザ・ダルビー(入江恭子・訳)『芸者 ライザと先斗町の女たち』TBSブリタニカ、1985年12月、ISBN 4484851156
o 原著: Liza Crihfield Dalby, Geisha, University of California Press, 1983, ISBN 0520047427
* 高橋利樹『京の花街「輪違屋」物語』(PHP新書) 、PHP研究所、2007年8月、ISBN 4569693784
* 高安美三子『おおきに。 祇園に学ぶしなやか処世術 』扶桑社、2007年3月、ISBN 4594053432
* 田中優子『芸者と遊び 日本的サロン文化の盛衰』(学研新書)、学研、2007年6月、ISBN 9784054034594
* 千谷道雄『明治を彩る女たち お梅・お須磨・ぽん太・お鯉・妻吉』文藝春秋、1985年2月、[12]
* 千代喜久『赤坂ずっこけ芸者 お座敷ここだけの話』、幻冬舎、2005年8月、ISBN 4344010264
* 陳奮館主人『江戸の芸者』(中公文庫)、中央公論社、1989年8月、ISBN 4122016363、改版: 中央公論新社、2005年11月、ISBN 4122046181
* 蔦清小松朝じ『女はきりきりしゃん あたしは百歳現役芸者』ごま書房、1994年5月、ISBN 434117049X
* 出馬康成『芸者の粋と意地―向島 花柳界に舞う女たちの生き様』、角川学芸出版、2008年2月、ISBN 4046216069
* 内藤悦子『舞妓はんになってみませんか 京都宮川町の舞妓姉妹、君香さんと君晴さん フォトガイド写真集』第三書館、2007年9月、ISBN 9784807407125
* 中島よしゑ『和学塾 美しい日本女性の生き方』太陽出版、2007年4月、ISBN 9784884695118
* 中島よしゑ『京都・祇園流格別のおもてなし作法』亜紀書房、2007年10月、ISBN 9784750507095
* 夏栄(聞き書き・岡田喜一郎)『神楽坂芸者が教える女の作法』河出書房新社、2005年2月、ISBN 4309017002
* 中島花代『小さな芸者さん!お酌チャンno.1!』メディアファクトリー、1992年8月、ISBN 4889912592
* なでし子(高良留美子、岩見照代・共編)『やとな物語』ゆまに書房、2000年6月、ISBN 4843301019
* 浪江洋二・編『白山三業沿革史』雄山閣出版、1961年、[13]
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* 南地大和屋『大和屋歳時』柴田書店、1996年8月、ISBN 4388057835
* 納屋嘉治ほか(文)、溝縁ひろし(写真)『祇園 粋(すい)な遊びの世界』淡交社、1995年4月、ISBN 4473013995
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* 西川ぎん子『花柳界はこんなところでございます。 お座敷の楽しみ方から芸妓とのつきあい方まで』PHP研究所、2004年8月、ISBN 4569635687
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* 花園歌子(高良留美子、岩見照代・共編)『芸妓通』ゆまに書房、2004年6月、ISBN 4843312215
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* 早崎春勇『祇園よいばなし』京都書院、1990年10月、ISBN 4763640445
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* 蒔田耕『牛込華街読本』牛込三業会、1937年11月、[19]
* 増田小夜 『芸者―苦闘の半生涯』平凡社ライブラリー、1995年11月(1957年刊の増補改訂版)、ISBN 4582761224
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* 溝縁ひろし『京都花街 祇園甲部・宮川町・上七軒・先斗町・祇園東』光村推古書院、2002年7月、ISBN 4838103034
* 溝縁ひろし『京都先斗町』光村推古書院、1997年8月、ISBN 4838102070
* 溝縁ひろし『京舞妓歳時記 溝縁ひろし写真集』東方出版、1995年8月、ISBN 4885914361
* 溝縁ひろし『祇をん市寿々』小学館、2000年10月、ISBN 4096813222
* 溝縁ひろし『祇園 今に生きる伝統美』日本交通公社、1985年4月
* 溝縁ひろし 『祇園・舞ごよみ』京都書院、1992年4月、ISBN 4763631950(のち文庫・京都書院アーツコレクション 写真 で

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* 溝縁ひろし(京都新聞出版センター・編)『はんなりと 京舞妓の四季』京都新聞出版センター、2004年4月、ISBN 4763805347
* 三田村鳶魚『花柳風俗』中央公論社、1998年10月、ISBN 4122032717
* みな子(長尾みつ)『華より花』主婦と生活社、2009年4月、ISBN 978-4-391-13649-4
* 三宅 小まめ、森田 繁子(共著)『「祇園」うちあけ話―お茶屋のこと、お客様のこと、しきたりのこと』(PHP文庫)、PHP研究所、2004年7月、ISBN 4569662250(『聞き書き 祇園に生きて』同朋舎・発売:角川書店、2000年5月、ISBN 4810426084 を改題)
* 宮川はるの『京の花街文化考』・『花街における教育』日本繊維新聞社出版 「和遊」創刊号 2007年、2008年
* 山口公女『すっぴん芸妓―京都・祇園のうっかり日記』ローカス、2007年1月、ISBN 9784898147085
* 山口富美恵『芸者雪そのの青春』集英社、1986年5月、ISBN 4087750841
* 山本雅子『お茶屋遊びを知っといやすか』廣済堂出版、2001年1月、ISBN 4331507475
* 依田義賢(文)、濱岡昇(写真)『舞妓の四季』(駸々堂ユニコンカラー双書)、駸々堂出版、1975年
* 渡辺憲司監修『大人の教養を愉しむ 祇園のしきたり』(青春新書) 、青春出版社、2009年7月、ISBN 4413042425
* 渡会恵介『京の花街』大陸書房、1977年6月

外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、芸妓に関連するマルチメディアがあります。

* 芸者見習い(舞妓)の説明(日本語/英語)
* BBC NEWS - Photo Journal:Geisha(英語)
* GEISHA HOUSE:アシュトン・カッチャーらプロデュースのレストラン

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Comentarii album • 2
Sakuya 9 ianuarie 2011  
通常、客は宴席を設ける料理屋にその旨を伝え、予算や希望に応じて料理屋が芸妓の手配をしてくれる。無論、指名も可能である。また、馴染みになれば直接お茶屋・置屋に芸妓を手配し、酒席に呼ぶことができる。通常、芸妓の手配や出入りができる料理屋は決まっており、どこでも呼べるわけではないので注意が必要である(料亭の項を参照)。

しかし最近では様々な緩和により加盟店以外の出入りも見受けられる(その場合、割り増しや各種の条件がつく場合もある)。

当日その場でも空きがあれば手配も可能だが通常はあまりそのようなことはしない。
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Yoshiko 7 ianuarie 2011  
ups.. am uitat sa traduc ce scrie mai sus
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